私とメコン河流域の国との出会いは、1994年のベトナム出張に始まる。
私が当時務めていた証券会社がベトナム政府からの要請を受け、ハノイとホーチミン・シティに証券取引所を作ることについてのコンサルテーションを行うことになった。これからの証券取引所にコンピュータとネットワークは欠かせないというこのプロジェクトのキーマンの一人の判断で、当時その証券会社のシステム子会社に勤務していた私が選ばれてプロジェクトメンバーの一人になり、社内の株式売買や証券行政などの専門家たちと一緒に10日間ハノイに滞在し、ベトナム政府の大蔵省の人たちと毎日ミーティングを持っていた。大蔵省の人たちはたいへん物静かな、しかしたいへん優秀な人たちだったという印象が、強烈に残っている。
この話は、ただこれだけで終わる。ベトナム政府はその後、予定通りハノイとホーチミン・シティに証券取引所を作る。しかしそれに参画したのは、私が勤めていたところとは違う日本の証券会社だった。
次のメコン河の流域の国との出会いは、ミャンマーだった。
2001年5月に証券会社時代の元部下から紹介されて、日本ではJICA(当時の名称は国際協力事業団、現在の名称は国際協力機構)が事務局を勤めていた「ミャンマー経済構造調整支援プロジェクト」のICT(Information and Communication Technologies)部会のメンバーの一人になった。このプロジェクトは日本とミャンマー合同の国際プロジェクトで、中長期的な観点からミャンマーの経済構造をどう変えてゆくかを検討するものだった。その中での私の役割は、ミャンマーのICTの領域での人材育成を考えるというものだった。
この時の私のカウンター・パートは、ヤンゴン・コンピュータ大学のパイティン学長(当時)だった。その時彼は彼の大学に大学院博士課程を作ったところで、指導教員の不足に悩んでいた。その彼からの要請で、その博士課程で2回専門であるソフトウェア工学についての集中授業を実施した。
このあたりから、私のミャンマーでの活動が本格化する。ICT部会長だった高原友生さんがその後ミャンマー総合研究所(MEMI)の理事長に就任され、当時MEMIの職員の一人だったセイン・ゾウ・タンさん(当時。今は岩城良生さん)とも知り合った。これがメコン総合研究所(GMI)の設立に結び付くことになる。またプロジェクトやMEMIの仕事を手伝っている過程で今のMCF(Myanmar Computer Federation)の会長であるテン・ウー氏などとも懇意になり、その後の私の活動で大きな助けになっている。
さらに、当時JICAが要請を受けてヤンゴン・コンピュータ大学の下に作ろうとしていたICTTI(Information and Communication Technologies Training Institute)の設立準備をお手伝いしていた。それが2006年11月にスタートし、今はその仕事も担当させていただいている。
これまでのところ私が行ってきたことは、単にミャンマーでのICT人材の育成に関わることがほとんどだった。しかし今の私の夢は、メコン河流域諸国のソフトウェア産業が力を付け、日本などからのアウトソーシング開発などで力を発揮してくれることである。これからは単なる人材育成に留まらず、私の夢の実現に向けてできる範囲のお手伝いを続けてゆきたい。

