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私とメコン 楠木 真次  2007年3月記

2003年12月から経済産業省の情報処理振興課に在席し、アジアにおけるIT人材育成政策を担当した。自分とメコン地域の関わりの始まりである。ベトナムやタイとの関係もあるが、特にミャンマーのことを記す。

 当時、日本のIT業界から人件費の安い中国へのアウトソーシングが盛んに行われていた。特に大連は日本語教育が盛んに行われており、語学という大きな堀が埋まった格好になっていた。中国との関係はひとえに人件費の格差によるものであるが、より深く心底からの信頼関係がないと長く継続せず、むしろ危険性もあると思っていた。決して中国を信用しないという訳ではないが、より親日的なミャンマーやモンゴルの人材について注目し、重点的に支援していった。また、ミャンマーについては太平洋戦争で約14万4,000人の日本人死者を出しているが、自分の父方祖父、母方祖父ともにアジアで戦死しているため、いつか各地を訪れて手を合わせたい気持ちがある。

 2004年8月と2005年3月にミャンマーを訪れた。両方ともヤンゴンだけの滞在でかつ短い期間であったが、自分の人生を変えるほどの訪問となった。ミャンマーで見るものは全てにおいて新鮮であり、驚くような光景ばかり。黄金に輝くバゴダ、人が群がる列車、ロンジー姿、ミャンマー料理、仏像に僧侶。そしてミャンマー人。日本語を勉強しているところに混ぜてもらい、自分からも特別に日本語で日本のことを多く話したが、その時の熱心に聞いているミャンマー人の目を忘れられない。全員、誰も目をそらすことなく、恐ろしいくらいの視線で自分を見ている。こっちも気を緩めることは出来ない。ここまで、真剣に話を聞いてくれたことは経験がない。

日本に戻ってから、日本語の勉強と日本のことを知ってもらうためにNHK「プロジェクトX」のビデオを数本贈った。これは、学生が順番にすり切れる程見てくれているそうだ。国は人が作り、活力は一人ひとりの中にある。

ミャンマーが素晴らしい国になる。一寸先は間違いなく光輝く!

情報処理振興課を離れ、他の部署に異動後、メコン総研設立に関わることとなった。

明治23年9月。ひどい嵐。和歌山県南部の潮岬。全身ずぶぬれで、衣服もずたずたの外国人の男たちが数人、海からはい上がり、助けを求めてきた。男たちは半死半生。言葉も通じない中、地元の人は熱心に介抱し、彼らは母国のトルコへ無事帰っていった。

時は流れイラン・イラク戦争。テヘランに200人の日本人が残され、脱出できなくなっていた。期日を過ぎれば、民間航空機でも撃ち落とすというフセインの言葉に国内からも助けに行けない状態であった。そこにトルコ航空だけがやってきて、イスタンブールに200人を無事輸送してくれた。「100年前の恩は忘れない」と。

メコン総研が日本とミャンマー、ひいてはメコン地域全域の交流の架け橋になり、両地域の心温まる関係に寄与できるよう願っている。