ミャンマー出身の私にとって、メコン河流域との出会いは私が生まれた1969年からになります。ミャンマーで生まれ、育ち、初等教育から高等教育の途中まで(大学3年まで)受けて、1990年に就学生(日本語学校の学生)として来日するまで、私はミャンマー以外の国のこと、世界のことは活字やテレビのニュースでしか知りませんでした。日本は私にとっての始めての外国であり、今になっては私の第2の故郷にもなりました。
来日してからは、日本とミャンマーの文化の違い、国民の歴史認識の違い、日本から見たミャンマーの姿等に大変興味を持ち、東南アジアの国際関係について(主にミャンマーのことについて)学びたいと思いました。また、日本で報道されているミャンマー関係のニュースや情報のほとんどが、軍事政権やアウン・サン・スー・チー女史、民主化といった偏ったものが多かったことについても違和感を覚えたため、ミャンマーについて正確に学びたいと思い、大学では社会学を専攻しました。それに、ミャンマーに関する正確な情報を日本の国民に知っていただきたいという思いから、大学院生の時にミャンマー関係の情報発信を行っている日本のNGOにインターンとして関わりを持ち、大学院終了後にはそのNGOに就職し、本格的に日本・ミャンマー間のNGO活動に係ってきました。
2006年、来日16年目に日本国籍に帰化した私は、それを機に、今度は日本人としての私がミャンマーのためだけではなく、周辺諸国のためにも何か役に立つ仕事をしたいと思い、有志たちと一緒にメコン総合研究所を立ち上げました。人間は一人では生きられないように、国家も国際社会から孤立して、1カ国のみでやっていくことはできません。ミャンマーは現在、民主化問題や政治的な理由から国際社会に非難され、経済制裁を受け、孤立を余儀なく強いられています。そういった国際社会の仕打ちを真に受けているのはミャンマーの政権ではなく、ミャンマー国内に住んでいる5千万人の国民であることを国際社会は知っているのだろうか。幸いなことに、ミャンマー人は忍耐強く、国内で食料の自給自足もできるため他の国のように飢え死にする人はまだいませんが、様々なところで影響を受けていることを国際社会は知らないと思います。私は政治家でも、学者や資産家でもありませんので、私ができることは本当に限られていることもよく知っております。でも私は一人のミャンマー人として、自国の国民のために自分ができる限りのことを精一杯がんばるつもりです。そして一人の日本人(日本国民)としてミャンマーの国民が一人でも多く、幸せになれる道を考えて手を差し伸べて引っ張りたいと思います。同様に日本とミャンマー、日本と大メコン圏の国々の民間交流のためにも、メコン総合研究所のメンバーと一緒にがんばって参りたいと思っております。一人の力ではとても無理なことでも、2人、3人、数十人、数百人と皆で力を合わせて協力し合えば、無理と思ったことでもできる様になる可能性はあると信じて、今日も精一杯がんばります。

