もう20年ほど前の1987年、ラングーンの空港からダウンタウンに向かうタクシーの中に私はいた。この車、戦時中から走っているのではないかと思わせるポンコツのアメ車で、ががたがた道をぜーぜー言いながら走っていた。外は薄暗くなり、路肩には明かりが並んでいた。屋台や小さな商店の明かりであるが、なぜかさびしい。電球ではなく、ろうそくの光がゆらゆらと揺れていた。そこをロンジー(腰巻)をまとった人たちがゆっくりと歩いていた。こんな世界がまだ残っていたとは、私はわくわくいした。
初めてのアジア一人旅の途中であった。中国、パキスタンと2ヶ月間陸路を回り、ちょっと疲れてきていた。予想もしないことが起きたり、トラブルになったり、出会いがあったりと刺激的で非常に楽しい日々であったが、毎日気を張り大きな声を上げる必要があった。じゃないと、飯が食えなかったり、バスに置いてけぼりをくったり、騙されて高い金を払ったりということになってしまう。そこで向かったのがタイ。メコンが流れる国は穏やかだった。言葉が通じなくてもよかった。にこりとすると相手もにこりとする。それだけでうれしくなっていまう。しばらくタイにいてある言葉を思い出した。中国のシルクロードの町トルファンで出会った日本人が言った言葉、「ビルマは夢のような国だ」。
空港からダウンタウンに向かう車の中から見た夕暮れのビルマ、影絵のような光景だった。灯明祭で賑わう黄金色の巨大なシュエダゴンパゴダ。そこで出会った老人が戦時中の日本兵との思い出懐かしそうに語ってくれた。戦後初めて日本人が来てくれたと、お菓子を次から次へと持ってきた野外喫茶店。店主は頑としてお代を受け取らなかった。ダウンタウンの目抜き通りの路上でギターを鳴らす若者。一緒に何曲か歌った。当時は遺跡の中心部に小さな村があったバガン。夜になると真っ暗で馬車を牽く馬のひづめの音だけが聞こえていた。
ビルマは私にとっても「夢のような国」となった。今でもビルマやラングーンという言葉を聞くと当時の風景が懐かしさとともに頭に浮かんでくる。ミャンマー、ヤンゴンと呼び名が変わってもその思いはまだ私の中で続いている。

