ミャンマーのICT 産業の状況(2010年)
ミャンマーのICT 産業の状況
(2010 年3 月の状況)
玉置 彰宏
(特定非営利活動法人(NPO)メコン総合研究所所長)
2010 年(平成20 年)4 月3 日
1 一般的な社会情勢
1.1 物価の動向
過去の一年間ヤンゴンでは、物価と外国為替の状況は比較的落ち着いた状況で推移している。(JETRO のミャンマー事務所の調査の結果を、この報告書末に別紙として添付する。)
例えば、ミャンマー人の主食である米の価格は一年前からはやや値下がりをし、一方ガソリンの価格はやや値上がりをしている。このように、物によって価格の当落はまちまちという状況にある。しかし一般に、比較的安定した状況でこの1 年間推移してきているということができる。またミャンマーの通貨であるチャットと米ドルの交換レートも、1US$が1,000~1,140 チャットと、比較的安定した状態が続いている。
2007 年秋にヤンゴンで長井さんがヤンゴンで射殺された事件が起きた頃には、ほとんど全ての物価は高騰し、一方チャットは米ドルに対して大きく下落するという状況があった。長井さんの事件は2007 年8 月にガソリンの公定価格を政府が一晩で大きく値上がりさせ、それに人々が抗議して広がったデモの最中に起きたものだった。その頃に比べると状況は大きく変わっており、国民の生活は比較的安定して推移していると言える。しかしそれで、国民の多くが現状に満足しているということでは決してない。
1.2 インフラの状況
インフラの現状に対して、ミャンマー人の不満は相変わらず大きい。例えば電気は、この3 月現在ヤンゴンのある地域では、一日に8 時間しか供給されていない。インターネットにも、不満の声が多い。
しかしやはり数年前には、一日に通電される時間はわずか3 時間、という状況があった。水力発電に多くを依存しているミャンマーの状況では、11 月頃から続く乾期の終わりに近い3 月には発電で使える水の量が減少し、そのため通電時間が短くなるという状況が毎年起きている。このところミャンマー政府は、アッパー・ミャンマーとこの国の人たちが呼ぶ北部の地方で水力発電所を建設し、電力の状況を改善しようとしているとのことであり、それが結果として通電時間の3 時間から8 時間への延長になって表れたと思われる。しかしそれで、ミャンマーの人たちが満足している訳では決してない。
天然ガスや宝石などを中国に売って今のミャンマー政府は豊富な資金を持っているのだから、もっと積極的にインフラの整備にそのお金を使って欲しいとか、日本はミャンマーの電力を始めとするインフラの改善にもっと積極的に援助して欲しいという声を、今回もヤンゴンで聞いた。
インターネットの状況も、1 年前と比較すると明らかに改善されている。接続はよりスムーズになり、レスポンスも少しは早くなったように感じる。街中にはインターネット・カフェが多く店を開き、繁盛しているように見える。しかしそれでも、まだインターネットの状況は不十分だとビジネスを行っている人たちは明確に声に出して言う。後述するようにソフトウェア産業では、日本を始めとする外国からのアウトソーシング開発の拡大への期待が高い。しかしインターネットがこんな状況だと、それが制約になってアウトソーシングの拡大にブレーキがかかる可能性があると、多くの人たちは心配している。
個人的な経験だが私が今回ヤンゴンに滞在中に、グーグルが中国から撤退するというニュースが流れた。NHK がそのニュース番組を国際放送で流しているのを聞きながら、私はミャンマー人の知人にメールを作っていた。そのメールに、「NHK が、グーグルの中国からの撤退を今報道している」と英文で書いて送ろうとしたら、エラーになって何度試みても送ることができなかった。それでその文章を削除したら、今度は一度で送信に成功した。ミャンマー政府はミャンマー語と英文のメールを検閲しており、ある種のキーワードが書かれたメールは送らせないという噂を聞いたことがある。今回の私の経験で、それは単なる噂ではなく本当の話だと感じた。これも、海外からのアウトソーシングの障害の1 つになるのかも知れない。少なくとも、推進要因にはならない。あるビジネスマンは、今回私に次のような話をしてくれた。
「電力の不足は、自家用の発電機を持つというような方法で、我々自身の努力で解決することはできる。しかしインターネットの問題には、このような解決手段がない。」
1.3 選挙の実施
ミャンマーでは2010 年中に、民主化のための議会の構成メンバーを選ぶ選挙が実施されることになっている。しかしこの原稿を書いている段階では、その選挙の日程はまだ公表されていない。
この選挙に何を期待するかという質問を、今回多くの人に投げかけてみた。一部のキーパーソンからは後述するような反応があったが、多くの人からの反応は全くの「無関心」だった。日本人でも普通の人は、政治への関心が疎い。2009 年秋のように、衆議院選挙があってそれで政権が交代した、というようなことがあると、その前後には少しは盛り上がるかも知れない。しかしそれでもそれは、短期間で終わってしまう。
ミャンマーでは、これで軍事政権が22 年間続いている。一般のミャンマー市民にとって政治とは、参加するものではなく押しつけられるもの、という感覚を持っているのだと私は思う。それで、今年中に民主化に備えての選挙があるので、皆さん政治に関心を持ちなさいと言われても「無関心のまま」というのが素直な状態なのだろう。
ビジネス分野のキーパーソンからも、いささか醒めた答えが返ってきた。彼らの最小公倍数の返答をまとめると、以下のようなものである。
「これまでは軍服を着た人たちが、政治を行ってきた。選挙の後ではその人たちは軍服を脱いで、背広に着替えて、そのまま政治を行うことになる。だから基本的には、当面は何も変わらないだろう。しかしこれで、政治の仕組みが変わる。これまでは基本的に、一人の人に情報が集中し、一人の人が全ての決定を下していた。そしてその政策について、国民への説明は全くなかった。しかし議会があって、与党だけでなく野党の議員もいて、例えば電力事情について質問があれば、政府は今の状況などについて何らかの回答をしなければならない。その中には、これからどうするつもりかという話も含まれるだろう。このようにして、国民の声が少しずつ政府に届くようになる。変化がしっかりと目に見えるようになるためには、長い時間がかかるだろう。しかしこの選挙が、ミャンマーが変わるきっかけになるだろう。」
私も、それを期待している。
2 ICT 産業の状況
2.1 コンピュータの普及の状況
今ミャンマーでは、オートバイと携帯電話と、コンピュータとインターネットの普及が急速に進んでいる、とのことである。
オートバイと携帯電話は、最近政府が国民に門戸を開いたという。ヤンゴンではまだ、オートバイを見ない。あるいはヤンゴンでは自動車の普及が進んでいるので、自転車の普及が進んでいなかったように、オートバイの普及も進まないかも知れない。しかしマンダレーなどの地方都市では、オートバイに普及が始まったと聞いた。ミャンマーの携帯電話は高くて、ごく一部の金持ちだけの持ち物だった。それが政府の政策で安くなり、普通の人にも持てる状況になって、これも普及が進み始めているとのことである。この2 つの普及が進んでいるので、今年はコンピュータの伸びが止まってしまい、ミャンマー国内のコンピュータの出荷台数はこれまでのところ昨年並み、とのことである。その昨年は、一昨年から急速に伸びたとのことだったが・・・。
この結果現在のミャンマー国内のコンピュータ設置台数などの統計は、以下のようになっている。残念ながらこれらが、どの時点での数字なのかということについての情報はない。またこのような情報は経年の変化が重要だが、過去の情報もない。
- 人口 5600 万人
- 国内のコンピュータの台数 38 万台
- コンピュータの普及率 0.7 台/100 人
- 国内の電話の回線数 84 万回線
- 電話回線の普及率 1.55 回線/100 人
- 国内の国立のコンピュータ大学の数 26 大学
- インターネットのプロバイダ 2 つ
- Myanmar Post & Telecommunication
- Yadanabon Teleport
- インターネットの加入者 10 万人以上
2.2 インターネットの状況
インターネットの現状が必ずしも満足できる状態にないことは、既に述べた。しかしこれは電力の場合はと違い、関係者が必ずしも手をこまねいている訳ではなさそうである。具体的には、政府は選挙の準備に忙しくて、全般的に活動が低調とのことであるが、インターネットのプロバイダの1 つであるYadanabon Teleport 社は積極的に投資を展開して、状況の改善に努力を続けている。
その結果インターネットの状況が若干は改善されると、それまでインターネットに疎遠だった人たち、あるいは全く無縁だった人たちがインターネットを使い始め、状況はまた以前と同じ状態に戻ってしまう、ということを繰り返しているように見える。この状況改善の結果、ミャンマー中の多くの街にインターネット・カフェが店開きをし、それが地方の一部の少年/少女を引き寄せている。そしてその少年/少女たちはICT(Information and Communication Technology)技術に目覚め、将来のソフトウェア技術者などの卵に育ちつつあるとのことである。この状況を、私は大いに歓迎する。
2.3 シンガポールの状況
2007 年から2008 年にかけて、その頃ヤンゴンで仕事をしていたICT 技術者が大挙してシンガポールに脱出し、ヤンゴンのソフトウェア産業が壊滅しかねないというような状況にあった。私はこの若い人たちのシンガポールへの脱出を、「雪崩現象」と呼んでいた。しかし今この状況は、若干は変わっている。
2007 年頃シンガポール政府は、非常にアグレッシブな計画を持っていて、それを実行していた。具体的には、その頃400 万人強だったシンガポールの人口を、アジアの近隣諸国の優秀な若者を積極的に受け入れて650 万人見当まで広げ、ごく近い将来シンガポールを世界一流のハイ・テクノロジーの国家にしようというものだった。そのために就労や教育のためのビザの取得を容易にし、優秀な学生には奨学金を与え、積極的に若い、優秀な人たちを受け入れていた。シンガポールへの帰化やパーマネント・レジデンスの資格を得るのも比較的容易だった。
しかし2008 年秋のリーマンショックを契機に、状況が変わった。リーマンショックで世界中の先進国が不況に陥った時に、シンガポールも先進国の1 つとして大きな影響を受けた。シンガポールの多くの企業は社員を解雇して、その不況に対応しようとした。この過程で、シンガポール国民の政府への不満が爆発した。つまり政府が外国人を優遇するために、シンガポール国民がその影響で仕事にありつけない、というものだった。結果としてシンガポール政府は政策を変更せざるを得なくなり、積極的な外国人の受け入れは消滅した。ビザ取得のための優遇処置はなくなり、学生への奨学金もなくなった。外国人学生の授業料は、むしろ値上げされた。パーマネント・レジデントの資格取得は、原則停止されているとのことである。
その結果多くのミャンマー人はシンガポールで失職し、ミャンマーに帰らざるを得なくなった人たちがいた。今回会ったあるビジネスマンは、次のようなことを言った。「24 時間電気があって、蚊のいないシンガポールから、停電だらけ、蚊だらけのミャンマーには誰も帰りたがらない。」
しかし現実は厳しく、ある程度の数のミャンマー人はミャンマーに戻ってきたようである。ただし「雪崩現象」と呼ぶような状況は、ここでは起きなかった。これについて、次のように言う人がいる。「ソフトウェア以外の他の産業では、多くのミャンマー人が戻ってきた。しかしソフトウェア産業からは、戻ってきた人はそう多くはない。それは、シンガポールの産業の中でも製造業や建設業はリーマンショックの影響を大きく受けたけれど、サービス業への影響は限られたもので、そのサービス業のソフトウェアの需要は落ち込んでいない。その結果シンガポールのソフトウェア産業の落ち込みは、さほど大きくはなかった。」
戻ってきたICT 技術者は少なくても、一時期のような脱出は止まっていた。2008 年秋から2009 年末までは、流出は基本的になかったと聞く。しかしあるソフトウェア会社の経営者によれば、脱出がまた始まりかかっているという。前回の脱出は、シンガポールの民間企業がターゲットだった。しかし今回は、ユーティリティ関係の組織がミャンマー人の技術者を一本釣りしていることが原因だという。これまでシンガポールのユーティリティ関係の組織の情報システムは、香港のソフトウェア会社にアウトソーシングされていた。それを今は内製に切り替えはじめており、そのための技術者を集めているという。その集め方は、次のようなものらしい。まず、インターネットに募集広告を出す。技術者がそれを見て応募の手続きをすると電話でインタビューし、書類審査とインタビューに合格するとシンガポールへの入国などに必要な書類一式をメール添付の形で送ってきて、技術者はそれを持ってシンガポールに出かける。この話をしてくれた経営者は、新たな危機感を持っていた。
しかしヤンゴンのソフトウェア会社は、社員のシンガポール脱出で一方的な被害だけを受けていた訳ではないようである。シンガポールに滞在中の元の社員と良い関係を保ち続け、その人経由でソフトウェア開発の仕事を斡旋してもらったり、新しい技術動向についての情報を入手したり、という関係を保持している企業がある。1 年半前その経営者は悲愴な顔をしていたが、今回は自信を持って会社の経営に当たっているように見えた。
2.4 ソフトウェア産業の状況
ミャンマーのソフトウェア産業の現状は、決して明るくはない。ミャンマー政府のスーチー女史の扱いに変化がないことから日本を含む欧米のミャンマーに対する経済制裁は変わっておらず、その影響でミャンマーの国内経済は相変わらず不況のままであり、したがってそこからのソフトウェアの需要は引き続き低調なままである。政府は前述の通り選挙の準備に忙しく、e-Government の動きは低調である。世界経済は回復傾向にあるとはいうものの、アウトソーシング開発が急増するという状況にもない。その中で今回見た積極的なソフトウェア開発の話は、Yadanabon Teleport 社のものであった。同社は既に述べたようにインターネットのインフラ増強に力を入れており、そのために今も積極的に投資を行っている。そこからソフトウェアの開発を受託しているソフトウェア会社は、3 月末の納品に備えて私が訪問した時は多忙を極めていた。
今ヤンゴンのソフトウェア会社の経営者は、「選挙後」に備えての準備に忙しい。多くの経営者は、選挙後にはソフトウェアの需要は増加すると見ており、何らかの形でそれへの対応を進めている。その時期と規模についての判断は著しく異なっており、それが各社の対応内容の違いになっている。
例えば、あるソフトウェア会社は海外からのアウトソーシング開発の受託の拡大に備えて、ISO 9001 やCMMI の認証取得に積極的になっている。あるソフトウェア会社はヤンゴン市内に商品取引所や証券取引所の開設するという動きに備えて、短期にファイナンスやトレーディングの領域のソフトウェア開発能力を拡大しようとしている。別のソフトウェア会社は中長期を睨んで、積極的にミャンマーでソフトウェア技術者の養成を始めようとしている。この教育の話は、最後の「教育の状況」で述べる。
2.5 ハードウェア産業の状況
以前ミャンマーでは、外国製のコンピュータを入手することは容易ではなかった。海外メーカはミャンマーには直接進出しておらず、したがって外国製のコンピュータは取得だけでなく保守にも問題があった。さらにミャンマーの貨幣価値から見るとこれらのコンピュータの価格は高く、ミャンマーの人たちから見ると高嶺の花だった。したがってシンガポールあたりで部品を入手してそれをミャンマーに持ち帰り、国内で組み立てたコンピュータが広く普及していた。
しかし状況は変わり、今では多くの海外メーカがミャンマーに直接進出してきている。具体的には、ミャンマーに既に進出したのは東芝(日本)、Lenovo(中国)、Dell(米国)、Acer(台湾)などの企業である。そのためにコンピュータの価格は下がり、競争はたいへん激しくなったと、コンピュータをヤンゴンで組み立てている会社の経営者は苦笑していた。以前ミャンマーでコンピュータと言えば、デスクトップ一辺倒だった。しかし今は電力事情の悪さなども影響してラップトップに人気が集まっており、新たに売れるコンピュータの60%ぐらいがラップトップになっているという。
2.6 情報処理技術者試験の状況
2.6.1 JITEC 試験
日本の情報処理技術者試験がアジアの諸国で定期的に実施されているが、ミャンマーもその対象国の1 つである。ミャンマーでは、日本で第二種情報処理技術者試験に相当するFundamental Engineer(FE)試験だけが、2003 年1 月以来定期的に実施されてきている。その応募者と合格者の推移を、図表1 に示す。
図表1 JITEC・FE 試験の受験者と合格者(MCF から資料を入手)
| No | 実 施日 | 受 験者数 | 合 格者数 | 合 格率 | |||
| 1 |
|
133 | 5 | 3.8 | |||
| 2 |
|
168 | 8 | 4.8 | |||
| 3 |
|
172 | 11 | 6.4 | |||
| 4 |
|
115 | 4 | 3.5 | |||
| 5 |
|
53 | 5 | 9.4 | |||
| 6 |
|
71 | 4 | 5.6 | |||
| 7 |
|
90 | 4 | 4.4 | |||
| 8 |
|
73 | 3 | 4.1 | |||
| 2007年春の試験は、中止された。 | |||||||
| 9 |
|
130 | 10 | 7.7 | |||
| 10 |
|
196 | 6 | 3.1 | |||
| 11 |
|
127 | 8 | 6.3 | |||
| 12 |
|
67 | 10 | 14.9 | |||
| 13 |
|
91 | 6 | 6.6 | |||
2.6.2 ミャンマー独自の試験
日本の情報処理技術者試験を参考にして、2002 年3 月からミャンマー独自のソフトウェア技術者試験が行われていた。しかしこの試験は、2006 年12 月の試験を最後に一旦廃止しされてしまった。しかしまた昨年から、年に2 回実施されるようになったとのことである。しかし今回、この試験の詳細を入手することはできなかった。
2.7 コンピュータ関係の教育の状況
2.7.1 コンピュータ大学の状況
ミャンマーには、国立のコンピュータ大学が26 校ある。その中心に位置する大学はヤン
ゴン・コンピュータ大学(UCSY、University of Computer Studies, Yangon)で、2006 年12 月
からJICA(独立行政法人国際協力機構)はUCSY と共同で、「ソフトウェア及びネットワ
ーク技術者育成プロジェクト(ICTTI、Information and Communication Technology Training
Institute)」を進めていた。2009 年12 月にこのプロジェクトの期間が終了し、ICTTI の運営
はUCSY に移管された。
ここではミャンマーの民間の技術者に加えて、コンピュータ大学の教員やミャンマー政府の科学技術省を含む多くの省庁のスタッフが受講しており、すでに多くの卒業生を輩出している。ここでトレーニングを受けた民間の技術者の一部はヤンゴンのソフトウェア会社に職を得ており、レベルや技術力についての企業からの評価は高い。さらに2010 年度の新学期から、新たに4 つのコンピュータ大学でICTTI のトレーニング始まるとのことである。またJICA とUCSY との別の合同プロジェクトが、形式的には前のプロジェクトの延長の形で2010 年2 月からスタートしており、2011 年10 月まで継続される予定である。
2.7.2 ヤンゴン大学の状況
2005 年までは、コンピュータや情報システム関係の教育は、科学技術省傘下にあるコンピュータ大学が一手に実施していた。しかし2005 年に教育省傘下の大学でソフトウェア技術者の教育が始まっている。
その第1 期生は既に学部を卒業し、多くの人はソフトウェア会社に職を得ている。また大学院に進学した人は、この原稿を書いている時点ではヤンゴン大学大学院の修士課程の1年目を終えた。2 期生の進学希望者が、間もなく修士課程への入試を受ける。ここでの教育方針は、人数を絞り、非常に実務的な訓練を行うというミャンマーでは珍しい方針を貫いており、卒業生への企業からの評価は高いとのことである。
2.7.3 民間の教育機関の状況
ヤンゴンには、私立大学の制度はない。しかし民間のICT 関係の教育機関の中にはブリティッシュ・カウンセルの紹介で英国のグリニッチ大学のカリキュラムを導入し、最終的にはその大学の学士号を付与するという、実質的な私立大学のような教育を実施してきたところが少なくとも2 つあった。
この教育機関の1 つのベースは、ミャンマーで最大クラスのソフトウェア会社である。このソフトウェア会社は、中長期のミャンマーでのソフトウェア開発の発展/拡大を見越して、Yadanabon Cyber City と呼ばれる、政府が音頭を取って積極的に推進しているICT 関係の街に、ヤンゴンで実施してきた私立大学のような教育設備を新たに設立して、積極的にソフトウェア技術者の養成に乗り出している。
ミャンマーの地方の町のインターネット・カフェに今集まっている少年/少女たちをこの教育機関は学生の候補と考えており、今このソフトウェア会社の幹部たちは学生集めでミャンマー中を出張して回っている。
この教育機関では、例えばヤンゴン・コンピュータ大学(UCSY)でも学生10 人に1 台程度しか用意されていないコンピュータを、全ての学生に所持させることにして、既に入学した学生は全員が東芝製のラップトップを使用しているとのことである。
選挙後にはミャンマーでも私立大学の設立が認められるのではないかという期待があり、その際にはこの教育期間は私立大学に衣替えすることになるだろう。またこの教育機関は単にこれまでの英国の大学だけでなく、シンガポールやタイの大学との提携を決めており、さらにその提携先として米国や日本の大学も期待されている。
3 まとめ
ミャンマーの一般の人たちの生活もICT 産業の状況も、一時期の深刻さからは脱却し、少しずつ改善の方向に進んでいるように見える。しかしまだ、とても多くの人たちや企業が満足できるような状況にはない。
今年中に行われることになっている民主化に向けての選挙で、急速な改善は期待できないものの、これがさらに改善の方向に向かうことを、多くの人たちがいま望んでいることである。