gt632636

ミャンマーのICT産業の状況

ミャンマーのICT産業の状況
(2008年12月~2009年2月の状況)

玉置 彰宏  
(特定非営利活動法人( NPO)メコン総合研究所所長)
2009年(平成 21年)6月5日


1. ミャンマーの一般的な社会情勢
1.1 全般的な経済状況
1.1.1 全般的な経済状況
2008年秋にアメリカから始まった大不況が、今や世界各国を襲っている。ミャンマーも、その例外ではない。

しかし今のミャンマーは日本を含む欧米諸国から経済制裁を受けており、そのためにミャンマーの経済が欧米諸国と直結しているというわけではない。その結果今年( 2009年)2月の時点では、不況の深刻さはさほどのものではないという感触を持っていた。

しかしミャンマーでは、シンガポールを始め、タイやマレーシアなどに若者が出稼ぎに行き、そこで得た収入の一部を本国に送金して、それで家族がミャンマー で生活しているというケースが多い。シンガポールなどで景気後退が起きると職を失うミャンマー人が出て、母国への送金が困難になるというケースがこれから 増えるものと考えられる。
ミャンマーがこの不況の影響を一段と深刻に受けるようになるのも、時間の問題のように思える。

1.1.2 為替相場の状況
米ドルの対チャットの闇相場 1では、2007年9月末の長井さんが死亡した事件の頃には、 1ドルが 1,350チャットを超えるようなチャット安の状況にあった。しかし今年( 2009年)2月頃には、世界的なドル安傾向がチャットに対しても生じたようで、一時期 1,000チャットを下回るような状況にあった(図表 1参照)。

輸出を取り扱っている組織はその分減収になるが、それは今や天然ガスや宝石をもっぱら中国などに売っている政府の領域で、一般の国民は生活物資のうち輸入されているものの価格が下がって、その分幾分かは暮らしやすくなっていると推測する。

1.1.3 一般の物価水準
2008年(平成 20年)5月の始めに強大なサイクロンがヤンゴンを含むミャンマーの南西部を襲い、14万人を超えるといわれる死者と行方不明者を出し、その地域にある穀 倉地帯が壊滅状態になった。その影響で、ミャンマー人の主食である米の値段などが急騰した。今年( 2009年)2月現在では、サイクロン以前と比較するとまだ高値にあるが、サイクロン直後と比べると、それなりに落ち着きを取り戻してきている(図表 1参照)。

ミャンマーでは、ヤンゴンですら停電が多く、オフィスではディーゼルで動く自家用の発電機を持っているところが多い。一般家庭でも、裕福な層は自家用の 発電機を所持している。その燃料である軽油はずっと高値が続いており、サイクロン直後には一段と高くなった。しかし今年( 2009年)2月時点では、ここ数年無かったほどの安値に戻っている。ガソリンにも同じ傾向が見られる(図表 1参照)。

このようなことから、前述のドル安もあって、一時期と比較するとミャンマー人の生活は幾分改善されているように思える。

1.2 政治の状況
1.2.1 民主化への動き
2008年(平成 20年)5月に、サイクロン襲来からまだ間がないにも関わらず軍事政権は民主化の是非を問う国民投票を実施し、非常に多数の賛同を得たと発表した。この結 果を受けて来年(2010年)には、憲法制定のための議会選挙が行われることになっている。

ミャンマー人の中には、この民主化で大きな変化は起きないと見る人が多い。つまり今軍服を着て政治を行っている人たちが、軍服を背広に着替えて、引き続き 政治を担当することになるとその人たちは見ている。しかし同じ人が政治を行うとしても立場が変われば徐々に何かが変わるという思いがあり、民主化へのそれ なりの期待をその人たちは持っている。

1.2.2 民主化等に伴う期待
この民主化への動きに伴って、今欧米諸国が実施しているミャンマーへの経済制裁が解除され、輸出入が活性化し、諸外国からのミャンマーへの投資が増加する と、産業界の人たちは期待している。そして後述するように、 ICT業界にはそれに備えての準備を始めている企業もある。

しかし個人的には、この期待は少し楽観的すぎるかもしれないと見る。民主化後の新しい政権のアウンサウン・スーチーさんの扱い方によっては簡単に経済制裁 が解除されないかもしれず、またロシアと協定を結んで進めることにした原子力開発が、状況によっては別の火種になる可能性もある。

1.2.3  国際的な状況
ミャンマーを取り巻く今の国際的な情勢は良くないと、私は考える。日本を含む欧米諸国が、軍事政権のアウンサウン・スーチーさんの扱い方を理由にして、 経済的には制裁を科し、政治的にはミャンマーから手を引いて一定の距離を置いて冷ややかに状況を見ているのに対して、中国がその間隙を縫って、極めて積極 的にその関係の拡大を図っている。

一時期タイが主な輸出先だったミャンマーの天然ガスは、今やその主な輸出先を中国に代えた。年に 2回軍事政権が実施している宝石類の販売時期には、ヤンゴンは中国人であふれかえる状況になる。これも後述するヤダナボン・サーバーシティの建設は、イン ドと中国からの支援を受けているといわれている。ミャンマーのほぼ中央に位置するマンダレーは元々中国系の人たちが多い町だったが、今やほとんど中国の 町、という話を聞いている。

欧米諸国に、その立場と考え方があるのは理解できる。私も1990年頃からの軍事政権の ア ウンサウン・スーチーさんの扱いには、とても賛成できない。しかしそれでも、今のミャンマーの中国一辺倒の状況は、ミャンマー国民にとって良いことではな いと考える。欧米諸国も、民主化というミャンマーとしての大イベントを契機にミャンマーとの関係改善を進め、ミャンマーの国民の立場から見て、日本を含む 欧米諸国も中国も等距離、という状況の構築を望みたい。

図表1ミャンマーでの物価と為替の状況
(JETROミャンマー事務所調査)
*クリックで拡大

2.  ICT業界の状況
2.1 全般的な状況
2.1.1 ICT産業全般の状況

ミャンマーには半官半民の ICT関係の団体として MCF(Myanmar Computer Federation)があり、その下部に ICT関係の業者が加盟している MCIA(Myanmar Computer Industry Association)という団体がある。一時期この MCIAの加入企業の数がかなり減少していたが、今年(2009年)2月現在では、幾分盛り返してきている。

この状況を、図表 2に示す。

図表 2 MCIA参加の企業数の推移(MCFへのヒアリングの結果)

MCIA傘下の企業数 傘下の企業数の技術者総数(推定) 傘下の企業が採用する年間の大学新卒者数(推定)
2007年2月 300社以上 4~5,000人 150~200人
2007年12月 285社 3,000人 約100人
2009年2月 420社 3,500人 約100人

2.1.2 シンガポールへの技術者流出の状況
2008年秋にアメリカから始まった世界的な不況は、あっという間に世界中の先進諸国を巻き込み、各国は著しい不況に直面して、たいへん苦慮しているという状況にある。シンガポールも、その例外ではない。

それ以前のシンガポールはたいへん積極的に産業構造の変革を目指して、 ASEAN諸国などから優秀な若者をどんどん受け入れる政策を採り、それを実現していた。この若者は、 ICT技術者に限らない。また対象国も、ミャンマーには限らない。

しかしミャンマーでは、国内の産業が欧米諸国からの経済制裁などで活性化せず、軍事政権の政治が庶民の生活を向上させようとするものではないことなどが原 因となって、若者のシンガポールへの脱出がたいへん顕著だった。この若者の中に、 ICT関係の技術者が大きな割合で含まれていた。

この世界的な不況の襲来で、この流れは止まったかのように見える。遅れてシンガポールへの移住の準備をしていた人の中には、不況到来後にも関わらずシンガ ポールに向かった人もある。しかしそこで新しい仕事を見つけることができず、ビザの滞在期間も切れて、やむなくヤンゴンに戻った人がいるという話を聞い た。

ヤンゴン側から見ると、シンガポールで職を失ってやむなくミャンマーに戻ってきたという人の話は、今年( 2009年)2月時点ではまだ聞かない。しかしシンガポールから見ると、そこで職を失って再就職にも成功せず、やむなくミャンマーに帰ることにしたという 人の話を漏れ聞くことがある。

この後、この問題がどう展開するのかの予断は難しい。しかし少なくとも昨年起きていたような、「雪崩現象」とでも呼ぶような大量、急激なミャンマーからシンガポールへの若手技術者の移動は、ここ当分はないと見るのが妥当ではなかろうか。

2.1.3 ミャンマー国内のソフトウェアの需要について
欧米諸国からの経済制裁などによって、ミャンマーの経済は引き続き良くない状態が続いている。その影響でミャンマー国内でのソフトウェアの需要は、低い ままの状態である。国内でわずかにあるソフトウェアの需要は、政府が実施する e-Government関係の開発だけといってよい。さらにその政府に、しっかりした情報戦略の企画立案者やシステムアナリストがいるわけではないの で、ここで調達されるソフトウェアの効果がどの程度のものかに疑問が残る。

2.1.4 ミャンマーのソフトウェア会社のアウトソーシングへの対応について
このような背景からミャンマーのソフトウェア会社は、海外からのアウトソーシング開発の獲得に力を注いでいる。直接ソフトウェアの開発を委託する企業か らプライマリ・コントラクタとして受注するケースはまだ無く、プライマリ・コントラクタが受注した中から一部の開発を再受託する、いわゆるセカンダリ・コ ントラクタの立場がほとんどである。この場合、プライム・コントラクタはタイ、シンガポール、マレーシアなどの国の企業が多い。

その中で日本からのアウトソーシング開発も、まだ多いとは言えないものの着実に増えてきている。1社はミャンマーの技術者数名を日本のプライム・コントラ クタに派遣し、窓口兼ソフトウェア技術者として仕事をしているケースがある。もう 1社は日本の企業で数年間働いているミャンマー人の技術者が日本とミャンマーの間を行き来してブリッジ・エンジニアを務めている。この 2社はこれまでところそれなりに成功しており、将来の拡充も期待できる。

もう 1社は日本のソフトウェア会社と提携し、その企業の日本人の技術者がミャンマーの会社に常駐してブリッジ・エンジニア兼技術指導者という立場を務めてい た。このミャンマー側の企業はヤンゴンで創業以来 10年を経過し、社員に対してソフトウェア開発の技術と併せて日本語教育もしっかりと行うという希有な企業だったが、昨年( 2008年)3月末に突然廃業してしまった。そのミャンマー企業の社員は全員が技術者を派遣していた日本企業に転職したが、転職先の企業はまだヤンゴンに しっかりと腰を据えてソフトウェア開発を行うと言うスタンスを明確にしていないように見える。

これ以外に、ミャン マーでコンピュータ大学の新卒や既卒を採用し、ヤンゴンでソフトウェア開発の技術と日本語についての必要な教育を行った後、日本に送り込んで仕事をさせよ うとしている人材派遣会社がある。しかし日本に来て仕事をしている人の数は、まだ多くないようである。

2.1.5 ミャンマーのソフトウェア会社の一般的な状況
昨年起きていたような急激なソフトウェア技術者の退職とシンガポールへの移住という状況は無くなってはいるものの、ヤンゴンのソフトウェア会社には質・ 量両面での技術者不足で悩んでいる企業が多い。優秀な技術者がいれば、今でもまだアウトソーシング開発の受託で充分に稼ぐことができるということだろう か。

さらに 2010年以降に予定されている民主化の進展に伴って、製造業などの海外の企業のミャンマー進出が期待でき、それと共に国内でのソフトウェアの需要が拡大 すると見込んでいる企業がある。そのような企業は、そのソフトウェア開発力の強化に向けて今真剣な取り組みを始めている。

2.2 人材育成の状況
2.2.1 教育省配下の大学

2007年10月に、教育省の配下にある 2つの大学(ダゴン(Dagon)大学とヤダナボン(Yadanabon)大学)で、各 50人ずつのソフトウェア工学を専攻した学士 3が誕生した。彼らの半数弱はそのまま卒業して産業界に入ったが、残りの半数強はオナーコースでもう 1年勉強を続けた。オナーの学位を取って就職した人もいるが、 2009年2月現在そのオナーの学位を持つ人で修士課程に進む希望を持っている人たちは、その進学ための試験の結果を待っている。

ミャンマー人の勉強好きがここでも現れて、オナーコースへの進学者は予想より多かった。多分マスターコースの進学者も、そうなる可能性が高い。

注 1) ミャンマーでは日本と異なり、専門領域を教える大学はその専門領域を統括している省の配下にある。例えば医科大学は厚生省の下にあり、コンピュータ大学は 科学技術省の配下にある、という形になっている。しかし教育省の配下にも、ヤンゴン大学を初めとする一般的な領域の教育を行う大学があり、そこでソフト ウェア工学を教える課程がある。

注2) ミャンマーの場合学士課程(バチェラーコース)は 3年で修了し、そのあとに 1年間のオナーコースがある。大学院修士課程(マスターコース)はオナーコース修了者が進み、その次の博士課程(ドクターコース)はマスターコース修了者が進む。

2.2.2  ICTTIの状況
JICA(国際協力機構)がヤンゴンコンピュータ大学( University of Computer Studies, Yangon:UCSY)と共同でヤンゴンに設立した ICTTI(Information and Communication Technology Training Institute:情報通信技術訓練センター)は、 2006年12月に稼働を開始し、まずそこでインストラクターを担当することになる UCSYの教員を日本人専門家が直接教育し、その後そのインストラクターがミャンマー人の研修生に教育するというステップを踏んでいる。

ここでの研修内容には、ソフトウェア技術とネットワーク技術の 2つがある。

2008年9月までの ICTTIの研修生は、すべて科学技術省配下の大学の教員だった。しかし2009年3月に修了する研修生のうち約 3分の 1は民間からの応募者で、修了後に民間のソフトウェア企業などに就職することが期待されている。

2.2.3 インドの支援によるソフトウェア技術の訓練センター
前記 ICTTIと並んで、UCSYにはインドからの支援によるソフトウェア技術の訓練センターがあり、2008年10月から稼働している。研修の期間は 6ヶ月弱、研修内容はソフトウェア技術主体で、研修生の数は ICTTIより多い。

2.2.4 その他の状況
UCSYを含む、ミャンマー全土に 24あるコンピュータ大学全体の動きや、民間のトレーニングセンターの動きなどは、このところ大きな変化はない。

2.3 ヤダナボン・サイバーシティの建設
マンダレーの北 65kmの広大な原野に、ミャンマー政府はインド(ソフトウェア)と中国(ハードウェア)からの支援を受けて、今ヤダナボン・サイバーシティの建設を進めている。

ここでの最初の施設であるテレポート・センターは、 2007年12月14日に稼働を始め、2008年12月にはインキュベーション・センターとして 7つの建物が完成して、 7つの組織がそれぞれ1つずつ建物を使用して、 ICT関係の仕事を始めた。

この広大な敷地はハードウェア・ゾーン、ソフトウェア・ゾーン、レジデンシャル・ゾーンなどに大きく区分されており、今後数年をかけて建築を進める計画に なっている。日本人の常識で考えると、途方もない計画に思える。しかしネピトウに新首都を建設し、既に完成させつつあるミャンマー政府の対応力からする と、このサイバーシティもいずれかの時点でしっかりと機能するようになるのかもしれない。

2.4 ソフトウェア技術者試験の状況
2.4.1 JITEC試験
日本の情報処理技術者試験がアジアの諸国で定期的に実施されているが、ミャンマーもその対象国の1つである。ミャンマーでは、日本で第二種情報処理技術者 試験に相当する Fundamental Engineer(FE)試験だけが、 2003年1月以来定期的に実施されてきている。この試験のこれまでの受験者数と合格者数の推移は、図表 3の通りである。

図表3 JITEC・FE試験の受験者と合格者( MCFから資料を入手)

No 実施日 受験者数 合格者数 合格率
1
2003年 1月 26日
133 5 3.8
2
2003年 11月 30日
168 8 4.8
3
2004年 5月 29日
172 11 6.4
4
2004年 11月 27日
115 4 3.5
5
2005年 5月 14日
53 5 9.4
6
2005年 11月 19日
71 4 5.6
7
2006年 4月 2日
90 4 4.4
8
2006年 10月 1日
73 3 4.1
2007年春の試験は、中止された
9
2007年 10月 28日
130 10 7.7
10
2008年 4月 6日
196 6 3.1
11
2008年 10月 18日
127 8 6.3

2.4.2 ミャンマー独自の認定試験
日本の情報処理技術者試験を参考にして、 2002年3月からミャンマー独自のソフトウェア技術者試験が行われていた。試験科目は以下の 3つだった。

① 基本情報処理技術者試験
② ソフトウェア開発技術者試験
③ ネットワーク技術者試験

しかしこの試験は、 2006年12月の試験を最後に廃止しされてしまった。近い将来、新しい方式での試験制度が誕生するものと思われる。

3. インターネットの状況
ミャンマー国内のインターネットの状況は、このところ著しい改善が見られる。

これは、ヤンゴン・ネピトウ(新首都)・マンダレー間が光ファイバーで結ばれ、さらにそのファイバーがインドと中国、タイにそれぞれ接続されたことによるものと思われる。

しかしやはりウィークデイの日中は、ヤンゴン市内ではスピードが遅く、日本国内のようにストレス無く順調に使えるというわけではない。

ヤンゴン市内などでは、ADSLが多く使われている。しかしそれ以外のところでは、WiMAXによる無線を使用したサービスが始まりかかっている。ただしヤンゴン市内でも電気の供給に
問題があり、仮に通信に無線を使用しても、ミャンマー全土で順調にインターネットが利用できるというような状況ではない。

インターネットプロバイダは、今のところミャンマーに 2つの組織がある。しかしいずれも政府系で、政府の都合により一方的にそのサービスを中断してしまうという、日本では考えられない状況が頻発している。例 えば、国連特使のガンバリ氏がミャンマーを訪問する、などという時期には、インターネットは使えないと覚悟をしておかなければならない。

このような状況が続けば、インターネットをビジネスの道具として使用するソフトウェアのアウトソーシング開発のような仕事は、順調に発展拡大を期待するのが難しいと言わざるを得ない。

-----以上-----

注)この資料作成のためのインタビューは、2008年12月~2009年2月にヤンゴンで行った。 しかしその後多忙のため、資料作成が大幅に遅れてしまった。
(玉置)